日々の生活において、全ての事柄をはっきりさせたいと思いながら生きている節があることに気付きました。問題を解決したいがために、白黒はっきりさせるような答えを出したいと意気込んでいる自分に、ちょっとした嫌悪感を抱いたのでした。
先日、満員電車の中である小説を読んでいました。この作品は幻想的で想像力を掻き立てられる物語です。長編小説なのですが、一つのストーリーに一人の登場人物を主役とした短編作品から構成されていて、エンディングには全ての話が結び付くような作品でした。人がひしめき合う電車の中で淡々と読んでいまいしたがどこか心が疲れていたようで、小説の意味を知りたいとがむしゃらになっていたのでした。そんな殺伐とした気持ちに気付いた時、意味なんて分からなくてもよいのではないかとふと思いました。その物語の世界に酔いしれてふんわりと全体像を知ることも読書の楽しみ方なのではないかと感じました。同時に私の心の奥底にある白黒はっきりさせようと意気込む気持ちに妙な違和感を覚えました。全てに意味を求めて答えを出すことも一つの考え方ですが、こんつめて物事を考えなくてもよいのではないかと感じました。
気持ちにゆとりを持って暮らすことは現代社会ではかなり大変なことかもしれませんが、意気込まずマイペースに幸せを求めることも悪くありません。この小説が忘れかけていた大切なことを思い出させてくれたことは、今でも心の中に深く刻まれています。
決してあなどれない呼吸のこと
人の寿命は呼吸の回数で決まるというお話を知人の女性から聞いたことがあります。人は息を吸って吐く数が生まれながらに決まっているようで、それを使い果たしてしまうことで、命の終りが訪れそうです。この話を聞いた時、私は妙に納得したのでした。
いつも緊張感にさいなまれていると、心拍数が上がり、頭に上手く酸素が行き渡らないものです。逆にどんな状況でも新鮮な空気を体中に送りこむことで、心は落ち着き頭の中もクリアになると感じます。これは一つの仮説なので「絶対」ではありません。しかしながらこうしたことを頭の隅に置いておくだけで、日々の生活は潤滑に回るような気がします。
以前読んだ禅について書かれた本にも、呼吸の大切さが書かれていました。姿勢を正すことや深い呼吸をすることで、私達の心の在り方も変わってくることを知り、非常によい勉強になりました。また臓器や筋肉はいつも健全に働くことが当たり前だと思っていましたが、しっかりと労り今こうして生きていることに感謝することを学んだものです。
気持ちに余裕が無い時こそ、肺をフル活用して息を送ることでモチベーションや思考は少しよい方向に変わるのではないでしょうか。知人から聞いた話や以前読んだ書籍を胸に、生命に密接に関わる体の働きに耳を傾けながら日々を過ごしてみようと思いました。こうした心意気は思考の変化だけではなく、自らの体を大切にする気持ちを改めて知ることにも繋がると感じています。
サーカスに憧れて
私はサーカス団員になりたいと子供の頃、思ったことがあります。空中ブランコ、トラと一緒に芸をする猛獣使い。子供の頃の私にはとても魅力的な職業だったのです。また年を重ねてからは旅をしながら仕事ができるところに憧れを抱いたりもしています。そして今でも身一つで観客に夢を与えられるなんて、こんな素敵なことはないと思い続けています。そんな若かりし頃の夢がふと頭によぎったのは、芸術とサーカスについて書かれた本を読んだからです。その書籍には私が幼い頃に出会ったものとはまた違う魅力が書かれており、少々驚いたことは言うまでもありません。肉体美と芸を融合させ美術的な舞台演出を加えた興行からは、まるで今いるところとは違う世界へ導いてくれる非現実性すら感じました。また世界中で活躍する団体の紹介を読んでいると、彼らパフォーマンスを生きているうちに一度は体感してみたいと思ったものです。さてこの本を読んでいたら、以前から気になるアーティスト集団が頭をよぎりました。彼らは、馬と人が魅せる芸術性高いサーカスをおこなうそうで、テーマに沿った動物と人が織り成すクオリティ高い演出を一度観たいと考えています。高級感漂うイベントのようなので、もし鑑賞する機会があればその時は素敵なお洋服に身を包んで会場を訪れてみようと、さやかな夢を抱いているのでした。
社長が書いた半生には学ぶことがたくさんある
以前から起業家について知りたいと思っていました。会社のトップに立ち、従業員を引っ張ってゆく者の考え方や人生論、ポリシーはとても気になります。自分にないとてつもないパワーを持っており、カリスマ性があると思うからかもしれません。そんなことを考えていた時、友達から一冊の本をもらいました。それは若くしてIT関係の会社を起こし、今も最前線で活躍する男性の半生を振り返った手記でした。自らの今まで歩んできた道のりを時にエモーショナルに、また時には客観的に見つめており、今の私にとてもよい影響を与えてくれたように感じます。
やりたいことをがむしゃらにやることや形にしてゆくこと、そこには人並みならぬ行動力と前に進んでゆこうとする意志の強さがあると思いました。また重大な選択をする岐路に立たされた時の決断力も、トップに立つ者にとって非常に大切なことを知りました。本を読み進めてゆく中で、私自信もこれらのことを心得ていることでより広い視野が開けてゆくのではないかと思ったのでした。
会社を起こすことは決していいことばかりではありません。選択を強いられる中で、時には冷酷な決断を下さなければいけないこともあるのです。この本から野望を持つことや強い信念をもつことがいかに自らの人生を突き動かす原動力になるかを学んだ気がします。同時に優しさだけではなく物事をシビアに見る目もしっかり持ってゆきたいと思ったのでした。
長い年月から進化し続ける街を知る
昨晩20年前に放映されたドラマをDVDで鑑賞しました。刑事が事件を解決してゆくもので、個性溢れる登場人物達がとてもユニークなところがこの作品の最大の魅力です。もう一つ私が印象に残ったのは、20年という歳月で大きく変わった都心の街並みです。犯人逮捕の舞台となるところは、湾に面したカフェテラスで、今はたくさんの人々で賑わうショッピングモールがあり、海には砂浜が造られていて観光スポットにもなっています。ドラマが放映された当時はまだそこまで発展しておらず、荒涼としたサスペンス作品にぴったりのシチュエーションでした。また世紀末の焦燥感のようなものが、どこかクールに描かれていたことが非常に印象深く心に残っています。
私がこのドラマを鑑賞しながら頭に浮かんだのは、もう何年も前に読んだ現代アートについて書かれた本でした。都心で活躍するアーティスト達を紹介する作品で、独自の世界観を持った活動をしている芸術家達からは「芸術とは生きること」という言葉がぴったりだと感じまたものです。また都心の風景はまだ成長途中で、希望の香りを匂わせていたことは言うまでもありません。
この書籍を読んでいた頃、高層ビルの中層部に位置するレストランから都心を眺める機会がありました。その光景は今でも鮮明に思い出されるほどに胸の奥に刻まれています。どこまでも続く空、そびえ立つ高層ビルと遠くの海がとても美しかったからです。そしてこれが完成された街なのだと感じたことが思い出されます。しかしながらあれから長い歳月が過ぎた今でも発展し続けている様子を見ていると、街は人と一緒に進化を遂げ続けるのだと思うようになりました。そして変わりゆく街と供に私も年を重ねてゆくのだと改めて知りました。
パワフルな女性が書いたアメリカ滞在記は圧巻
日本から遠く離れた地で暮らす女性が書いた本を読んでいます。ニューヨークの隣の州であるニュージャージーでの暮らしを書いたもので、今から20年程前に書かれた作品です。
憧れの地であるニューヨークに2ヶ月間単身で滞在した後、日本に帰国してから事業を起こして、ライターとしての仕事をするためニュージャージーに渡り全力で様々なことにぶち当たりながら楽しむことを忘れない著者の姿は圧巻です。「考えるよりまず行動」を胸にいつでも真っ向勝負なところが勇ましくて、潔いからでしょうか。そして何よりも明るい性格と才能とも言えるコミュニケーション能力を持ち、遥か遠いアメリカの地で独自のコミュニティを切り開いてゆくところは素晴らしいと思いました。決して治安が良いとはいえない地域に住んでいたため泥棒に入られそうになったり、アパートメントで火事が起きたりと様々なハプニングが起こります。しかしながら周囲の力を借りつつ自らのバイタリティでこうした苦境を乗り越えてゆくことは、誰でもできることではないと思うのでした。そこには持って生まれた生きる力と成長過程で培われてきた何事にも屈しない人格があるのだと感じたのです。
「海外で暮らしたい」と夢見て色々な書籍を読んできましたが、これほどまでに強く逞しい女性に出会ったことは今までは無かったような気がします。そんな著者を見習いつつ、日本での生活を私なりに楽しめたらと思うのでした。
眠りに着く前のささやかなスピリチュアルタイム
とても心地よくて不思議な世界観漂う小説を読みました。それは兼ねてからファンでもある女性作家が手掛けたものでした。いつも新しい物語に出会う度に今まで感じた事のない感覚を味わってきたように思います。
昨晩寝る前に布団の中で読んだ本はこの作家が手掛けた短編作品が幾つか収められたもので、どの物語にもこの世に生きる者とあの世に行ってしまった者を結び付けるエピソードが込められていました。初めは幽霊をイメージしてしまい「夜眠れなくなってしまったらどうしよう」という不安にさいなまれましたが、読み進めてゆくうちにそんな気持ちは全く抱かないことを悟ったのでした。
大切な人を失ったがために気が付かないうちに心に深い闇を持つようになった主人公、憎しみを抱いていたにも関わらず死によって気付かされた思いなど、様々な形で記憶や心の根底にある他者との関係が浮き彫りになる作品達はそっと私の中に入ってきて、切なくも優しい余韻を与えてくれました。死に直面することによって悲しさの許容範囲が分からなくなってしまい何事もなかったかのように振る舞う人々のやるせなさは、小説の中ではまるで丸くてフワフワして柔らかい羽根布団のように感じました。しかし当事者達にとっては、ひどく尖ったナイフのような悲しみであることを垣間見たのでした。そして死と生が隣り合う物語達はスピリチュアルな世界に一歩踏み入れたかのような摩訶不思議な時間を与えてくれました。時にはこんな夜があってもいいと感じています。
高齢犬の問題
現代は昔と比べると食事や医学の進歩で人間の寿命が延びたように、犬や猫の寿命も延びていると以前、本で読んだことがあります。でも、それに従って、人間と同じようにペットにも介護の問題が起きてきています。元気なうちはいいけれど、痴呆が始まったり、足腰が弱くなったり、歩行が困難になったりするんです。そして、オシッコやウンチだって、今までちゃんとできていたのが、粗相が多くなってくるんだそうです。けど、それは歳をとってそうなってきたんだから、叱っては可愛そうなんです。
実は、うちのワンコが最近、おうちでお漏らしをするようになってきて、ちょっと頭を悩ませています。だから、老犬の世話について書かれた本を読んでみたり、そんな記事を探したりしています。うちのワンコは外でしかオシッコやウンチができなくて、お散歩に行くまで我慢してるんです。若いときは、私が仕事から帰ってくるまで待っていて、もちろん、その時も可哀想だとは思っていたんですけど、最近は我慢が出来なくなってきたみたいです。だから、漏らしてるときだって、完全に全部しちゃってるわけじゃないんです。そのうえ、本人はいけないことをしたと思っていて、私の顔色を見たりしています。そんな様子を見ていると余計可哀想で……。ワンコが小さな時に、お家でもできるように躾ができなかった私が悪いんです。もう老犬だから、今さら躾は難しいと思います。でも、ちょっとでも楽にしてあげたいから、今、何か良い方法がないかと思案中なんです。
『ロス』ということ
人は自分の大事なものを失ったときには、心にポカンと穴が開いたように感じるものです。それを最近では『○○ロス』と呼んでいます。以前、『ペットロス』について書かれた本を読んだことがあります。家族の一員とし生活してきたペットの『死』が人を無気力にしてしまうというものです。これは本当にわかります。私もワンコを飼っていますけど、いずれ訪れる別れの事を考えると、胸が痛くなります。もうすぐ14歳になるから、その日が数年後にはやってくるんだと思うと、なんとも言えない気持ちです。
今までテレビや雑誌で、芸能人の結婚や引退によってファンの人たちが気力を失ってしまうということを耳にしたことがあります。まさに『○○ロス』と呼ばれていました。でも、ちょっと大げさなんじゃないの?って思っていたんです。自分の身内や恋人じゃないんだから、そんなに落ち込むなんて……と。それなのに、先日、ある芸能人が引退してしまった時に、自分でも信じられない心境になったんです。翌日、仕事に行ってもなぜか気が乗らないんです。気持ちが常にどんよりしているとでも言えばいいのかな。「どうした? 私」といった気分です。そして、ふと思ったんです。これって『ロス』じゃないの?って。自分としてはそんなに熱烈なファンのつもりはなかったのにビックリです。私でさえこんな気持ちになるんだから、熱狂的なファンの人達の気持ちがわかるというものです。だったら私は「ワンコとの毎日を本当に大事にしなくっちゃ」とつくづく思うのです。
子供は走る
この前、夕方にワンコのお散歩に行った時に、下校中の小学生に会いました。みんな元気に走ってたから、うちのワンコもそれにつられてはしゃいでいました。子供って急いでなくても走ってますよね。何か嬉しいことがあったときにも。ご機嫌だとスキップしたりもしますしね。この前読んだ小説にもそんなことが書いてありました。タイムリープもので、舞台は江戸時代だったんだけど、平成からそこに迷い込んだ主人公たちが、喜んで走っている子供を見て、「平成の子供と同じだな」って話していたんです。いつの時代も子供は同じだと。本当にそうだと思います。特に嬉しい時にはなおさらです。私だって、遊園地で父からボートに乗ってもいいって言われたら、「やったー」ってボート乗り場まで走って行ったのを覚えています。学校帰りにはスキップをしながら帰った記憶もあります。大人になってからスキップなんてしたことありません。そもそも今でもできるのかなってことなんですけど。そんな子供の頃が懐かしいです。その日、小学生たちの後ろ姿を見送ってから、まだピョンピョンとはしゃぐワンコにこう言いました。「お家まで走ろうか!?」私が駆け出すのを見て、嬉しそうに勢いをつけるワンコ。家に着いた時には、息切れが……。でも、久しぶりに楽しいお散歩でした。