数日前から読んでいる長編小説は、時間がとてもゆっくりと流れるしっとりとした物語です。主人公の女性は中古の着物屋を一人で経営しており、凛としていて暮らしの中にある自然の変化を感じることが出来る趣ある素敵な女性です。彼女が自らユニホームと称する着物を上手に着こなしているところは非常に粋だと感じています。またヒロインが住んでいるところは私が以前から一度は訪れてみたい昭和の名残が残る街でもあります。その街にあるレトロなカフェ、おでん屋などはどれも魅力的で美味しそうな食べ物が多々登場するためか、お腹が空いてしまうこともしばしばです。先日老舗和菓子屋さんのお菓子が綴られているページを読んでいた時私も甘いものが食べたくなり、近所のおばあちゃんが経営する和菓子屋へ行き、すあまを購入してペロリと平らげたのでした。
色々なジャンルの小説を読みますがこのようなホッコリとした作品を欲することも多く、このような作品から四季折々の変化やそれに伴う食べ物、街の風景など再発見することが多々あるものです。そしてこうした日々の何気ない変化の中で綴られる家族や恋人との関係を読んでいると、季節と同じく暮らしもまた巡ってゆくものなのだと思えるようになりました。私もこの小説の主人公のように、しっとりと日本的情緒を肌で感じる事のできる女性でありたいものです。
語りかける木
朝は寝過ごさないようにと、10分刻みでアラームをかけています。けど、大概はそのアラームより先にワンコに起こされます。ただ、鳴き声で目が覚めてはいるんだけど、アラームが鳴るまで起きないから、結果ワンコには我慢させてしまっています。
でも、先日は、随分早くにお散歩の催促でした。時計を見たら、アラームが鳴るまで1時間以上あります。無視してもう少し寝ようと思ったんだけど、あまりのやかましさに寝てはいられませんでした。「こんなに早くから鳴き過ぎでしょ」と文句を言いながら、もう起きるしかありませんでした。でも、外に出て朝の新しい空気を吸い込むと、全身が目覚めるようでとても清々しい気持ちになりました。いつものお散歩のコースも時間が違うと景色も違って見えます。池の周りを歩いていたら、鳥の声も聞こえてきます。そして、大きな木が目に留まりました。たぶん、いつもそこに立っているはずなのに、その日に初めて見たような気分になりました。なぜなら、何かを語りかけてきてるような気がしたんです。「今日はイイことがあるよ」と言ってくれてるような。その木を見上げながら、以前に読んだ小説を思い出しました。病気で入院している少女が毎日、病室の窓から大きな木を見ていたんです。そして、その木が少女に語っていたんです。池のそばのその木も高いところから毎日、きっと色んな風景を眺めているんですよね。早起きもたまにはいいですね。
お散歩の後には
うちのワンコはお散歩が大好きだけど、人間のように外を歩くのが好きだからという理由だけではありません。というより、本当は別の目的の方が大事なんですけどね。お散歩に出て行くまでオシッコとウンチを我慢してるんですもの。実はうちの子は外でないとウンチやオシッコができないんです。小さいときのしつけが間違ったというか、トイレシーツで何度練習しても、シーツをぐちゃぐちゃにして遊ぶだけだから私が諦めてしまったんです。諦めずに根気よく頑張るべきだったかなって今となれば思います。台風だろうが嵐だろうが行かなきゃダメなんです。もちろん、私は行きたくないですけど我慢してるから可哀想で。あまりの嵐にワンコ自身も外に出たものの驚いてる時もありますけどね。ということは、お散歩からは必ずウンチを持ち帰ってるってことなんです。そして、それはトイレに流しています。けど、先日、『犬のウンチはトイレに流してはいけない』という記事を読んだんです。詰まりの原因になるって。もうビックリです。かれこれ10年も流しています。でも、それで詰まったことはないんだけどな。調べてみました。そしたら、一緒に小石なんかを流してしまったらいけないのと、自治体によって決まりが違うんだって。それと、浄化槽の場合はあまりよくないらしいです。でも、うちは直流だから、大丈夫でした。衛生面から考えてもトイレに流すのが正解でした。あぁ、良かった。一安心です。
靴職人の男達
最近読んだ小説に靴職人の男性が登場しました。彼はとてもおしゃれでライフスタイルが洗練されています。そのため素敵なものづくりをする男性だということを想像することができます。この物語は恋人と一緒に山小屋でハネムーンを過ごすストーリーで、彼が手掛けた靴をプレゼントするシーンはとても心に残ったのでした。
靴は無くてはならないものです。だからこそ履きやすくて歩きやすいものを選ぶよう心掛けています。しかしながら今までお店に並ぶ商品を見ていても、職人さんのイメージが湧きませんでした。そのため先日読んだ小説は、遠い昔に忘れてきたものを思い出させてくれたような感覚を味わったのでした。
そしてもう一つ。昨晩観た映画にも小説と同様に職人を目指す高校生が登場しました。彼は高校1年生ですが自分の夢を貫くため、バイトをして専門学校へ通う費用を稼ぎ、日々自室で靴を作成しています。その姿は男気溢れていてカッコよかったです。また好きな女性のために可愛らしいパンプスを作り、それを渡すことなくエンドロールが流れたところは切なくもありました。しかしいつかその女性の元にパンプスを渡しにゆくであろうことが想像できたため、どこかホッとしたのでした。
これらの作品から私も世界でたった一つのシューズを手にしたいと思うようになりました。いつかハンドメイドで作られた自分だけの逸品を履く日が来ることを願っています。
正しい時間の使い方
毎日、一日の仕事を終えると家に帰ってご飯を食べて、ワンコのお散歩に行ったり翌日のパンをセットしたりして、お風呂に入って、それから本を読んでから寝る……とだいたいの流れは決まっています。ときどき、そこに飲み会や女子会が入ったり、帰りにちょっと寄り道したり。そして、休みの日はというと、ショッピングに行ったり、書店をぶらぶらしたり、友人とのランチを楽しんだり、たまに家でダラダラしていたりと、そんな過ごし方をしています。けど、いくら読みたい本があっても、家に仕事を持って帰っているときには諦めるしかありません。たとえ帰宅後、特に何もすることはなくても、ヘトヘトに疲れている時には、本を開いたものの目は閉じてしまっているということもあります。
けど問題は、そんなに疲れてもないし追われてもいないけど、「やらなきゃいけないこと」だと考えられることは幾らでもあるっていう日々なんです。家の用事も仕事の準備や勉強も。英会話の勉強だって終わりはありません。それらを優先していたら、小説を読む時間なんてなくなってしまいます。以前、良い仕事をするためには、遊びが大事だと書いてある本を読んだことがあります。その著者はゴルフや飲み会を勧めていました。そういう時間は自ら進んで作ろうと思わなければ作れないと。優先順位が低いと思われがちなレクリエーションこそ仕事のためのエネルギーを蓄えるために必要なんだって。そうなんですよね。だから、やらなきゃいけないことがあっても小説を読む時間を優先してもいいってことなんです。それが日々を頑張るための正しい時間の使い方なんです。
固定概念を捨ててしまえば
日本人らしい、外国人みたいな、色んな名前があります。小説の中にも様々な名前が出てきますけど、それだけでは、日本人か外国人かなんてわからないこともあります。そして、
今の社会では、男の子か女の子かもわかりにくい場合もあります。
実は先日、ちょっと面白いことが書いてあった本を読んだんです。ある英会話スクールでのお話なんだけど、そのスクールでは、お互いのことを英名で呼び合うんです。生徒はみんな日本人なのに、『デイビッド』とか『ケイト』とか『サリー』とかです。先生が呼ぶときもお互いを呼ぶときもです。なんだかくすぐったいなって感じるけど、そこから入って、外国人になりきって会話をするということかもしれません。
そういえば、以前読んだ小説にも、似たようなことがあったんです。その小説を海外の物語だと思って読んでいたら、だんだん怪しくなってきて……というか、最後の方になったら、「これって日本の物語?」って感じだったんです。名前のマジックです。日本人らしからぬ主人公たちに完全に惑わされました。でも、これと同じような物語の代表的なものに宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』があります。これって、今でも舞台が外国だと思っている人も多いんです。だって、登場人物が『ジョバンニ』『カンパネルラ』などだからです。でも、実は舞台は岩手県なんです。そういえば、ライトノベルでもよくありますよね。どこの国かなんて全く関係ありません。固定概念を捨ててしまえば、すんなり受け入れることができるのかもしれませんね。
それが大事
通勤で電車を乗り換えるときに、朝は乗り換え駅で走ります。着いたときにちょうどホームの向かい側に電車が待っているんです。扉が開くと一斉にみんな走ります。けど、実はこのときにどこに乗るかがかなり重要ポイントなんです。なぜって、車両によって込み具合って全然違うものなんです。乗ってしまうと全体が見えないから、自分が乗っている場所がより混んでいるのか少しは空いているのかがわかりません。でも、乗り換えの時には、降りる前にドアから見ていると、だいたいわかるんです。だって、少しでも空いているところに乗りたいですもの。たぶん、みんな自分が降りる駅の階段近くに停まる場所に乗りたいのかもしれません。であれば、大きな駅だと沢山の人が同じところに集中するってことですものね。私の研究によると、やはり女性専用車両が一番空いています。けど、意外にも後ろから3両目が空いているというデータを私は持っています。それは、朝でなくても帰りでもそうなんです。帰りにはしばらく並ぶときがあるから、その時はどのあたりに並ぶかが問題です。やっぱり疲れた体にギュウギュウはツライですし、少しでも空いていたら思いがけず座れることもあります。出来ることなら本を読みたいと思っている私にとっては、電車の混み具合はすごく大事なことなんです。
「なってこったー」な日
先日、職場に持って行かなくてはいけないものがあって、持っている手さげカバンの中で2番目に大きなカバンを引っ張り出してきて、そこに入れました。もう少し小さくても大丈夫だったかもって思ったけど、それより小さくて合いそうな物は持ち合わせていません。だから、もう諦めるしかありませんでした。けど、いつも持っているもうひとつの手さげも持って行く必要があるから、トートバッグに普通の手さげとビッグな手さげといった出で立ちになってしまいました。朝、家を出るときに鏡で自分の姿を見ると一体どこからやって来たのかというように見えました。「そうだ」と思いついて、大きな手さげにもう一つの方も押し込んで家を出ました。でも、それが大失敗だったんです。もう重たいのなんのって。二つに分けているとそんなに気にならなかった重さが、ひとつになるといきなり倍以上に感じました。駅の階段の上り下りだけでも大変でした。
絶対に座らなきゃ通勤時間を耐えられないと思った私は、乗り換え駅で仕方なく1本見送って並んで次の電車に乗ることにしました。その努力のおかげでなんとか座ることができました。荷物は膝の上に置きたかったけど、あまりの大きさに足元に置きました。「ふぅ」とため息をついて、でも、座れたのならせめて読書をしようと思ったんだけど、バッグの中に本が入ってなかったんです。そういえば、荷物に気を取られてしまって、昨夜読んでいた小説をベッドのわきにそのまま置いてきてしまいました。なんてこったー!
職場に着いたときには、その日の仕事はもう終えたような気分になってしまっていました。
夢でよかった
先日、久しぶりに夢を見たんだけど、その内容に目覚めた時には心臓がバクバクでした。現実の出来事でなかったことにホッとしました。なぜなら、私は事件に巻き込まれてしまって、秘密の箱を持って必至で逃げていたんです。もちろん、何人もの人たちに追いかけられています。夢の中にいるときって、本当はつじつまが合わなくても、時系列がおかしくても、そんなことはお構いなしに進んでいきますものね。目が覚めてから考えてみると、ありえないことがよくあります。
けど、どうしてそんな夢を見てしまったのかはすぐにわかりました。この前からどっぷりとハマっている小説のせいです。読んでるときには、そのスリルにドキドキするのが面白いんですけど、まさか夢に出て来るなんて思いもしませんでした。影響を受けやすい性格なんですね、私って。考えてみれば、子供の頃にもそんなことがよくあったように思います。そのたびに現実でなかったことに胸をなでおろしたものです。
物語は物語だからいいんですよね。それが自分の身に起こったら困る事って多いですもの。自分には関係ないことだからこそ、文字から色々と想像してその中に入り込めることが楽しいんです。あらためて、現実ではなく小説だから楽しいんだって思いました。でも、サスペンスなんかじゃなくてコメディだとしたら、実際にそんな出来事に遭遇すれば楽しめますよね。
本が人生を変える
この前、雑誌に大ヒットしてる『うつ病脱出者の体験漫画』を描いている漫画家さんのインタビューが載ってたんだけど、すごく納得できる内容で、ジンとくるものがありました。以前、その人は『うつ』を病んでしまって、そのときにうつ病から脱出できた精神科医の本を読んだんだそうです。その本を読んだあとに、自分を肯定することが大事だと気づいて、『うつ』から抜け出せるキッカケになったんだって。そして、病を患っている最中にいつか『うつ』の漫画を描こうと思っていたと語っています。ストレスの多い社会だから、けっこう患ってる人、患ったことのある人って多いんですよね、芸能人でも何人か聞いたことがあります。実は私の知人にもいるんです。病の期間も抜け出すキッカケも、人それぞれみたいです。でも、ちょうど心が求めていることにピッタリ合う本に出会えたら、トンネルを抜け出すことができるんだと思います。扉が開いたって、感じることってありますものね。私も経験あるんです。たまたま書店で目に留まった自己啓発本を読んだときに、「そうか」って自分が間違っていたことを素直に認められたんです。そして、大げさだと思われるかもしれないけど、生き方まで変わったって思えたんです。本との出会いで人生が変わることって確かにあるんです。インタビューの漫画家さんが描いた話題の漫画、読んでみたいです。