語りかける木

朝は寝過ごさないようにと、10分刻みでアラームをかけています。けど、大概はそのアラームより先にワンコに起こされます。ただ、鳴き声で目が覚めてはいるんだけど、アラームが鳴るまで起きないから、結果ワンコには我慢させてしまっています。
でも、先日は、随分早くにお散歩の催促でした。時計を見たら、アラームが鳴るまで1時間以上あります。無視してもう少し寝ようと思ったんだけど、あまりのやかましさに寝てはいられませんでした。「こんなに早くから鳴き過ぎでしょ」と文句を言いながら、もう起きるしかありませんでした。でも、外に出て朝の新しい空気を吸い込むと、全身が目覚めるようでとても清々しい気持ちになりました。いつものお散歩のコースも時間が違うと景色も違って見えます。池の周りを歩いていたら、鳥の声も聞こえてきます。そして、大きな木が目に留まりました。たぶん、いつもそこに立っているはずなのに、その日に初めて見たような気分になりました。なぜなら、何かを語りかけてきてるような気がしたんです。「今日はイイことがあるよ」と言ってくれてるような。その木を見上げながら、以前に読んだ小説を思い出しました。病気で入院している少女が毎日、病室の窓から大きな木を見ていたんです。そして、その木が少女に語っていたんです。池のそばのその木も高いところから毎日、きっと色んな風景を眺めているんですよね。早起きもたまにはいいですね。

靴職人の男達

最近読んだ小説に靴職人の男性が登場しました。彼はとてもおしゃれでライフスタイルが洗練されています。そのため素敵なものづくりをする男性だということを想像することができます。この物語は恋人と一緒に山小屋でハネムーンを過ごすストーリーで、彼が手掛けた靴をプレゼントするシーンはとても心に残ったのでした。
靴は無くてはならないものです。だからこそ履きやすくて歩きやすいものを選ぶよう心掛けています。しかしながら今までお店に並ぶ商品を見ていても、職人さんのイメージが湧きませんでした。そのため先日読んだ小説は、遠い昔に忘れてきたものを思い出させてくれたような感覚を味わったのでした。
そしてもう一つ。昨晩観た映画にも小説と同様に職人を目指す高校生が登場しました。彼は高校1年生ですが自分の夢を貫くため、バイトをして専門学校へ通う費用を稼ぎ、日々自室で靴を作成しています。その姿は男気溢れていてカッコよかったです。また好きな女性のために可愛らしいパンプスを作り、それを渡すことなくエンドロールが流れたところは切なくもありました。しかしいつかその女性の元にパンプスを渡しにゆくであろうことが想像できたため、どこかホッとしたのでした。
これらの作品から私も世界でたった一つのシューズを手にしたいと思うようになりました。いつかハンドメイドで作られた自分だけの逸品を履く日が来ることを願っています。

正しい時間の使い方

毎日、一日の仕事を終えると家に帰ってご飯を食べて、ワンコのお散歩に行ったり翌日のパンをセットしたりして、お風呂に入って、それから本を読んでから寝る……とだいたいの流れは決まっています。ときどき、そこに飲み会や女子会が入ったり、帰りにちょっと寄り道したり。そして、休みの日はというと、ショッピングに行ったり、書店をぶらぶらしたり、友人とのランチを楽しんだり、たまに家でダラダラしていたりと、そんな過ごし方をしています。けど、いくら読みたい本があっても、家に仕事を持って帰っているときには諦めるしかありません。たとえ帰宅後、特に何もすることはなくても、ヘトヘトに疲れている時には、本を開いたものの目は閉じてしまっているということもあります。
けど問題は、そんなに疲れてもないし追われてもいないけど、「やらなきゃいけないこと」だと考えられることは幾らでもあるっていう日々なんです。家の用事も仕事の準備や勉強も。英会話の勉強だって終わりはありません。それらを優先していたら、小説を読む時間なんてなくなってしまいます。以前、良い仕事をするためには、遊びが大事だと書いてある本を読んだことがあります。その著者はゴルフや飲み会を勧めていました。そういう時間は自ら進んで作ろうと思わなければ作れないと。優先順位が低いと思われがちなレクリエーションこそ仕事のためのエネルギーを蓄えるために必要なんだって。そうなんですよね。だから、やらなきゃいけないことがあっても小説を読む時間を優先してもいいってことなんです。それが日々を頑張るための正しい時間の使い方なんです。

固定概念を捨ててしまえば

日本人らしい、外国人みたいな、色んな名前があります。小説の中にも様々な名前が出てきますけど、それだけでは、日本人か外国人かなんてわからないこともあります。そして、
今の社会では、男の子か女の子かもわかりにくい場合もあります。
実は先日、ちょっと面白いことが書いてあった本を読んだんです。ある英会話スクールでのお話なんだけど、そのスクールでは、お互いのことを英名で呼び合うんです。生徒はみんな日本人なのに、『デイビッド』とか『ケイト』とか『サリー』とかです。先生が呼ぶときもお互いを呼ぶときもです。なんだかくすぐったいなって感じるけど、そこから入って、外国人になりきって会話をするということかもしれません。
そういえば、以前読んだ小説にも、似たようなことがあったんです。その小説を海外の物語だと思って読んでいたら、だんだん怪しくなってきて……というか、最後の方になったら、「これって日本の物語?」って感じだったんです。名前のマジックです。日本人らしからぬ主人公たちに完全に惑わされました。でも、これと同じような物語の代表的なものに宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』があります。これって、今でも舞台が外国だと思っている人も多いんです。だって、登場人物が『ジョバンニ』『カンパネルラ』などだからです。でも、実は舞台は岩手県なんです。そういえば、ライトノベルでもよくありますよね。どこの国かなんて全く関係ありません。固定概念を捨ててしまえば、すんなり受け入れることができるのかもしれませんね。

それが大事

通勤で電車を乗り換えるときに、朝は乗り換え駅で走ります。着いたときにちょうどホームの向かい側に電車が待っているんです。扉が開くと一斉にみんな走ります。けど、実はこのときにどこに乗るかがかなり重要ポイントなんです。なぜって、車両によって込み具合って全然違うものなんです。乗ってしまうと全体が見えないから、自分が乗っている場所がより混んでいるのか少しは空いているのかがわかりません。でも、乗り換えの時には、降りる前にドアから見ていると、だいたいわかるんです。だって、少しでも空いているところに乗りたいですもの。たぶん、みんな自分が降りる駅の階段近くに停まる場所に乗りたいのかもしれません。であれば、大きな駅だと沢山の人が同じところに集中するってことですものね。私の研究によると、やはり女性専用車両が一番空いています。けど、意外にも後ろから3両目が空いているというデータを私は持っています。それは、朝でなくても帰りでもそうなんです。帰りにはしばらく並ぶときがあるから、その時はどのあたりに並ぶかが問題です。やっぱり疲れた体にギュウギュウはツライですし、少しでも空いていたら思いがけず座れることもあります。出来ることなら本を読みたいと思っている私にとっては、電車の混み具合はすごく大事なことなんです。

本が人生を変える

この前、雑誌に大ヒットしてる『うつ病脱出者の体験漫画』を描いている漫画家さんのインタビューが載ってたんだけど、すごく納得できる内容で、ジンとくるものがありました。以前、その人は『うつ』を病んでしまって、そのときにうつ病から脱出できた精神科医の本を読んだんだそうです。その本を読んだあとに、自分を肯定することが大事だと気づいて、『うつ』から抜け出せるキッカケになったんだって。そして、病を患っている最中にいつか『うつ』の漫画を描こうと思っていたと語っています。ストレスの多い社会だから、けっこう患ってる人、患ったことのある人って多いんですよね、芸能人でも何人か聞いたことがあります。実は私の知人にもいるんです。病の期間も抜け出すキッカケも、人それぞれみたいです。でも、ちょうど心が求めていることにピッタリ合う本に出会えたら、トンネルを抜け出すことができるんだと思います。扉が開いたって、感じることってありますものね。私も経験あるんです。たまたま書店で目に留まった自己啓発本を読んだときに、「そうか」って自分が間違っていたことを素直に認められたんです。そして、大げさだと思われるかもしれないけど、生き方まで変わったって思えたんです。本との出会いで人生が変わることって確かにあるんです。インタビューの漫画家さんが描いた話題の漫画、読んでみたいです。

おにぎり論争

先日、職場の人と外出をして、一緒にお昼ご飯を食べました。人気で手軽なおうどん屋さんに入って、温玉うどんと炊き込みご飯のおにぎりを食べました。その時、知人が「おにぎりって自分で作る時に素手でにぎる?」って聞いてきたんです。私はいつもラップを使って作ります。コンビニやごはん屋さんのものは、たぶん機械や型を使ってると思うんだけど、中にはお店でも手作りがあるかもれません。けど、お店の場合、さすがに素手はないと思います。でも、彼女はいつも素手で作るらしいんです。そして、その方が美味しいって言うんです。思わず「本当?」って聞いたんだけど、正直受け入れられませんでした。それって、根拠があるのかな。味に差が出るとは理解しにくいし、衛生面を考えてもラップの方がイイと思うんだけどな。
でも、そういえば、随分前に読んだ小説の中にもそんな論争がありました。物語の中に出てきたのは、炊き込みご飯のおにぎりだったんだけど、登場人物の一人が、手でにぎった方が美味しいし、なんだか懐かしい気持ちにもなるって言ってたんです。それを読んだ時には、ふだん炊き込みご飯ではおにぎりを作らないからピンと来なかったんだけど、もしかしたら、それは『思い出』というエッセンスが加わってるからじゃないのかな。だから美味しく感じるんじゃないのかな。それなら、なんとなく理解できそうです。知人にもきっと何かのエッセンスがあるのかもしれません。

高齢者には優しく

この前、病院に健康診断に行ったんだけど、その時にこんなことがありました。全部終わって清算の前にかなり待ち時間がありました。けっこう混み合っていたから仕方なかったのかもしれませんけど、本を読んで時間をつぶしていた私でさえ、「まだかな」と少しイライラしてしまいました。もしかしたら、忘れられてるんじゃないかと不安にもなりました。あと10分待っても名前を呼ばれなかったら、一度尋ねてみようと思いながら、小説の続きを読んでいました。そしたら、突然大声が聞こえたんです。「だから、理由を聞いているんだ。ちゃんと答えられないのか」って。受付のカウンターに初老の男性がいて、怒鳴っていたんです。見た目は上品そうな人なのにって意外な感じです。よほど腹の立つことがあったのかもしれません。けど、単に待ちくたびれていただけなのかもしれません。でも、受付の女性スタッフの話し方にも原因はあったんじゃないかなって思えました。なぜなら、私は本から顔を上げてその様子を見ていたんだけど、対応が良いとは思えなかったんです。それに、以前読んだ本に、高齢になると、どうしても脳が衰えてきて萎縮していくから、自分の感情を抑えられなくなると書いてあったんです。きっとあの男性だって、もともとの性格はそんなに怒鳴り散らすような人ではなかったんじゃないかなって思えます。誰もが嫌でも老いていきます。少し優しい気持ちで接してあげれば、高齢者だってあんな風にはならないのかもしれません。

語彙力があればカッコいい

最近、小説の中に出て来る語句で読み方がわからないということはあまりありません。なぜなら、ルビを振ってあることが多いからです。でも、自分で書けるかというと、それはまた別問題です。スマホやパソコンでの変換が当たり前になってしまってるから、簡単な漢字が出てこないってことがよくあります。それに、最近の小説は堅苦しい文章のものが少なくて、というより私がそうでないものばかりを選んでいるからかもしれませんけど、難しい語彙が少なくなったように思います。でも、先日、『現代は語彙力のない人が多い』と書いてあるコラムを読んで、自分も含めて「それは当たってるな」と思いました。言葉の使い方や意味を勘違いしていたり、言葉自体を間違っていたり、そんなことが本当に多いんだそうです。そのコラムを読んでいたら、なんと読み方のわからない漢字があったんです。使い方を間違っている人が多いとの例として上げられていた言葉です。ショックでした。読書が好きなのに語彙力がないという事実に情けなくなります。『ある物事のたとえ』で使われる言葉らしいんですけど、本当に初耳でした。でも、それを日常会話に取り入れることができたら、やっぱりカッコいいです。知的な感じもしますしね。そこには「頭がイイ」と言うより「機知に富む」と言った方が知的だと書いてあったんです。たしかに!語彙力をつけて知的な女性を目指そうかな。

着物っていいな

先日、職場にいらしたお客様が着物をお召しでした。思いがけずその姿に一瞬見とれてしまいました。だって、着物の美しさもだけど、その女性がすごくキレイで魅力的な人だったんです。お仕事が日本舞踊の先生とのことでした。そりゃしっくりくるはずです。その日も打ち合わせの後にお出かけのご予定がおありだったようです。お正月や成人式以外に着物の出番って夏祭りの浴衣くらいという人が多いなか、あんなふうに普段に着物って素敵です。
でも、この前、読んだ小説に出て来た女性の二人連れも着物でした。帯がどんな柄かという描写まであったから、その姿が目に浮かびました。それに、小説の舞台が京都だったから、似合いますよね。賀茂川沿いの小道や下賀茂神社などが出て来たから、ほんと絵になります。ちょうどその小説を読んだところだったから、職場で出会った女性のことが余計に印象に残ったのかもしれません。目の前にそんな人がいたら、いいなって憧れるのに、じゃあ自分は……というと、まずありえません。お正月でさえその選択肢がないんですから。でも、せっかく日本人に生まれたんだから、もう少し興味を持ってもいいはずなんですよね。振袖は海外ではドレスに匹敵するんですもの。思い切って挑戦してみようかな。和装でみんなをアッと驚かすのも楽しいかもしれないですしね。