セニョールっていう野菜

時々話題になる新顔野菜。その見た目から「なんだコレ?」って驚くようなものもあるけど、料理雑誌にはけっこう色んなメニューが載っています。味の方もなかなか美味しいようです。ズッキーニや豆苗だって、その昔は新顔野菜だったんですからね。
先日、読んでた小説の中に『今日はスティックセニョールを見つけたから……』という一節があって、「はて?」とそこで立ちどまりました。初めて聞く名前で、それが一体なんなのかが全くわかりませんでした。「セニョール?」って。まず、そこからです。そもそも、ミスターやムッシュのように男性に呼び掛ける言葉ですよね。調べてみたら、なぜセニョールなのかはわかりませんでしたけど、それは野菜でした。いわゆる新顔野菜で、「茎ブロッコリー」とも呼ばれているらしいです。グリーンアスパラの先がブロッコリーの花の部分になってるといった姿でした。サッと茹でてお塩やマヨネーズで食べると美味しいんだって。その姿の通り、ブロッコリーを食べて、その後にアスパラの食感が来るんだそうです。油との相性もいいから炒め物にも向いていると書いてありました。でも、いつものスーパーでは全く見かけません。特別な野菜を扱っているお店じゃないと置いていないのかもしれません。ちょっと高級なスーパーにならあるのかも。そこはちょっと車を走らせないといけないからお休みの日にしか行けません。あぁ、早く食べてみたいです。

何が一番好き?

突然の質問には答えられない時があります。難しい質問ではありません。幼稚園の子供だって答えられることです。たとえば、食べ物で何が一番好き?とか、スイーツで何が一番好き?などのようなことです。簡単だから余計に即答ができないのかもしれません。その答えを自分で決めておこうかな、なんて思ってしまいます。だって後になって、ああ言えば良かった、とか、これがあったじゃない、なんていつまでも考えていたりするんだもの。
そんなことを考えていたら、先日、小説に中にこんな一節がありました。「コタツで食べるみかんと同じくらいアイスが好き」って。これ、思わず頷いてしまいました。私ってアイスが一番好きなんじゃないの!? 子供の時には、お手伝いをしたら、いつもより高価なアイスをご褒美に買ってもらっていました。大人になってからは、どこに旅行に行ってもご当地アイスを食べています。なかでもソフトクリームが一番好きです。春や秋のように気候の良い時には、綺麗な景色を見ながら食べるのが最高です。夏は冷たいものが絶対にほしいんだけど、すぐに溶けだすから食べるのが忙しいんです。冬は外は寒くても暖かい場所で口にすると甘くて冷たくて贅沢な気分にしてくれます。小説の一節で思い出したけど、どの季節にもぴったりくるアイスがやっぱり一番です。私の答えはこれに決まりです。

親の影響って大きいです

今の自分があるのって、やっぱり親の影響が大きいなって思います。大人になってからは自分の考えで動いているけど、そもそも、その根底にあるものはやっぱり親に影響されていると思えますもの。私が小説を読むのが好きなことや文章を書くのが好きなことだって、自分で生み出した趣味ではないです。もちろん、趣味は誰かとの出会いで目覚めるということも多いとは思います。知人にもたまたま友人に誘われて中学の部活でテニスを始めたら、もうハマってしまって、それからずっと打ち込んでるっていう人がいますから。けど、私の場合、こと読書に関しては『母親』のおかげです。子供の頃、それこそ記憶にはない赤ちゃんの時から絵本の読み聞かせをしてくれていたらしいです。おぼろげにだけど、幼い頃に何度も絵本を読んでほしいと母にせがんだ記憶はあります。それに、母はおもちゃはすぐには買ってくれなかったけど、本はすぐに買ってくれたんです。幼稚園か小学校低学年のときには、児童文学全集なんていうものをシリーズで揃えてもらっていたと思います。だから、家ではいつも読むものに困らなかったんです。けど、そんな風にして育ててもらったから、文学を身近に感じられて活字にも全く抵抗がなくいられたんだと思います。読むことも書くことも好きなのは母のおかげとしか言いようがないですもの。感謝しています。その反面、母が苦手だった運動に関しても影響を受けてしまっていますけどね。そこは自分で開拓していくしかないですよね。

チョコレートを食べながら

普段は我慢していることが多いチョコレートです。だからこそ、たまに食べるとすごく美味しいんですよね。でも14時から18時の間は少しのおやつなら太りにくいっていう記事を読んだことがあります。だから、たまにその時間に合わせてブラックコーヒーと一緒にチョコレートを2、3粒食べます。チョコレートを食べながらの読書は私を幸せな気分にしてくれます。心までとろけてしまいそうです。そして、そんな時には、小学校の遠足の日のことを思い出すんです。遠足には決まった金額でおやつを持って行くことができました。前日にはどんなおやつを買おうかとお店で選ぶこともすごく楽しくて、すでにそこから遠足は始まっていたんです。でも実は、私は遠足から帰ってからがもっと楽しみだったんです。私は一番好きなおやつ、つまりチョコレートは食べないで家に持って帰ることに決めていました。そして、家に帰ってから漫画を読みながら、それを食べるのです。それは本当に特別な時間でした。だって、その日は宿題もないから、自由気ままに過ごせたんですもの。
口の中でなめらかに溶けてゆく甘いチョコレートを味わいながら本のページをめくっていると、寝っ転がって漫画を読んでいる小学生の私の姿が浮かんできます。それはその頃から全く変わらずに訪れる至福の時間なんです。

私には無理でした

映画やテレビドラマでは、あまりにも残酷なものやグロテスクなものは苦手です。思わず目を逸らしてしまいます。でも、小説の場合は自分の想像の範囲で収まるから、まだそこまでではないと思っていたんです。でも、そうでないことがあるってわかったんです。先日から読んでる小説は、芥川賞を受賞した作家さんのもので、受賞作ではないけど、いえ、受賞作でないからこそ興味が湧いて買ってしまったんです。その作家さんは一見とても大人しそうな女性です。でも、その文章はかなりグロテスクな表現が多いとも耳にしました。けど、彼女の外見からはとても信じられなかったんです。受賞作を読んでみようと思いながら、あまりにも世間で人気だから逆に躊躇してしまっていました。だからこそ、それ以外の作品に興味を持ったのかもしれません。今、まだ3分の1も読んでいません。でも、実はかなりしんどいです。登場人物の心理描写、目の前の出来事の細かい状況描写など、次々に出て来る文章表現に私の頭はすでに拒絶反応を起こしかけています。だって、ストーリーが難しくて頭に入らないとか興味が持てなくて物語に入り込めない、なんていう種類の感覚ではないんですもの。小説を読んでいて、こんな気持ちになったのは初めてです。「私には無理」というのが正直な気持ちです。たぶん、リタイアします。やっぱり幸せな気分になれる文章が、私は好きです。

玉ねぎの疑問

玉ねぎは日持ちもするし、煮物や炒め物、サラダなど何にでも使える便利な野菜ですよね。いわゆる根菜の一種です。と思っていたら違うらしいんです! 先日、見かけた記事のタイトルが『玉ねぎは根菜ではない』というものだったんです。もうビックリです。「じゃあ、なんなの?」って思ってしまいますよね。記事には詳しく説明してあったんだけど、実は玉ねぎは『実』でも『茎』でも『根』でもなくて、『葉』なんだって。それも麟葉という物の集合体(鱗茎)なんだそうです。縦二つに切って断面を見るとわかるんだけど、根元にある短い部分が茎なんです。そして葉の数は8枚なんだって。実際に数えてみたらわかるって書いてありました。つまり、重なって巻いているから、私たちが見ているのは葉の裏側ということになるんです。確かに、長く置いておいたら真ん中から緑の芽が出ていることってあります。その芽は葉から養分を得て成長するということなんです。つまり、玉ねぎの白い一枚ずつの厚みはたっぷりな養分なんですね。だから、芽が成長したら玉ねぎはしぼんでいくんですって。まぁ。冷静に考えたら、確かに『根』ではないですよね。なのに、なんの疑いもなくそう思ってしまっていたんです。まさかの真実です。こんな身近なものでも、その正体を誤って理解していたなんて。もしかしたら、まだ他にもあるんじゃないかな、間違えて理解してる野菜。自分の認識がちょっと怪しそうなものを調べてみたら面白いかも。

それはないでしょ!

先日のことです。目を疑う光景を見てしまったんです。電車を乗り換えた時、席はいっぱいだったからつり革を持って立ちました。もちろん読書は諦めました。「発車まで2分お待ちください」というアナウンスを聞きながら、何気に座っている人を見ていました。見ると、私の前に座ってる男性は二人とも本を読んでいました。ハードカバーではなく、文庫本かソフトカバーの新書といったところでしょうか。何を読んでるのかなと思わず上から覗いてしまいました。けど、文庫本だから文字が小さくて、その種類どころか小説なのかビジネス書なのかもわかりませんでした。もちろん、他人の本に顔を近づけることなんて怪しすぎてできませんしね。でも、ふと後ろを振り返ったら、立っている男性も本を読んでいて、結構男の人の方が読書家が多いのかなって思えました。そうこうしていたら、「ドアが閉まります」とのアナウンス。そのとき、エスカレーターを駆け下りてくる男性の姿が目に入りました。「あー間に合わないな」って思って見ていたら、やっぱりその人が電車に近づいた時にはすでにドアは閉まっていました。でも、その人が信じられない行動に出たんです。なんと手でドアをこじ開けようとしたんです。私はビックリです。たぶん見ていた他の人たち全員が驚いたと思います。車掌さんか駅員さんかがマイクを使って響き渡る声で「ドアは閉まっています!」って叫びました。その人、よほど、その電車に乗りたかったのか。けど、ダメです。危険ですし、そもそも手では開きませんしね。人間は時々信じられない行動をしてしまいます。

24時間営業は必要?

最近は夜遅くまで遊ぶこともなくて、せいぜい職場の人たちや友人とごはんを兼ねて居酒屋さんに行くくらいです。たまにはバーに連れて行ってもらうことはあっても、ちゃんとその日のうちには家に帰っています。そんな人が増えたのか最終電車がものすごく混んでいたりするからビックリします。先日、読んだコラムにも書いてあったんだけど、以前はファミリーレストランやファストフード店は24時間営業だったけど、最近は随分そんなお店も少なくなったみたいです。年々減少しているといった感じ。それは生活スタイルの変化に因るんですって。その分、コンビニのイートインは年々増えているように思います。その方が安いですしね。コンビニが24時間営業してるから、ファミレスは閉まっていてもそんなに不便には感じないのかもしれません。深夜営業は人手不足やお客さんの数と人件費が見合わないという事態を引き起こしているから、取りやめるレストランが多いみたいです。確かに、フロアが広ければ、それだけで光熱費だってかかりますものね。深夜営業をやめて、ランチやディナーの時間帯に力を入れるというお店が多くなってるんだとか。そして、結果的にはそうすることで売り上げは上昇しているって書いてありました。これは時代の流れですね。私たちの生活は日々変化をしているから、外食産業も数年後にはまた違った形のものが出て来るかもしれませんよね。

料理が下手だと思われる時

この前、雑誌で見かけた記事には、男性が『料理が下手だと思う女性の行動ランキング』なんていうのが載っていました。ちょっとこれは恐ろしいぞっと思ってしまいました。女性の何気ない行動から判断されているんでしょうね。学生でも社会人でも、何といっても一番は、BBQやイベントでの行動を見られるんでしょうね。
そのランキングを見ると、どれも「確かに」って思ってしまうことばかりでした。第5位は『食材の切り方がおかしい』です。これって、普段やってるかやってないかが本当によくわかるんですよね。口でいくら誤魔化したところでバレバレです。第4位は『タバコを吸う』でした。でも、これはハッキリした根拠がなくてイメージからくることみたいです。タバコのせいで味覚が劣ってるんじゃないかとの思い込みからでしょうか。これには反論したい人も多いかもしれませんね。第3位は『部屋が散らかってる、とか、掃除ができない』です。これは料理が下手というより、不潔に感じるからやってほしくないという考えなど衛生面で心配だとの声みたいです。第2位は、『包丁の使い方がおかしい』でした。これは絶対に当たってると思います。普段やり慣れてないと、危なっかしくて見ていられませんから。そして、第1位に輝いたのは、『食事のマナーが悪い』でした。マナーが悪いと料理の腕が良いとは考えられないということです。料理をすることと食事のマナーには根底に流れている姿勢が同じだと考える男性が多いんですね。マナーがそこまで見られているとは! けど、それを読んだら、結局は普段やっていない人は当然下手だってことで、それはすぐにバレるということです。普段から実行あるのみ。

大人のアニメーション映画

時々、見たくなるアニメーション映画。それには本当に子供向けのものから大人向けのものまで色々あります。もちろん、どの世代の人も楽しめるものだって多くあります。けど、最近はコミック漫画からの映画化が多いから、中高生が楽しめる、っていうか憧れるようなものが多いですよね。私だって学生の時ならそれにはキュンキュンしてたと思います。でも、大人になったって、また違った感じで感動できるものなんですよね。学生の頃や自分の初恋の事を思い出したりして。でも、そんな大人気のキュンキュン映画を作成しているのは、十分大人な監督です。先日、その監督の談話を読んだんです。その中ですごく心に残ったのが「アニメは記憶を形にしてる」って言ってたこと。「そうかぁ」って、なんだかストンって心に落ちました。普通の映画って実物を撮影してるけど、アニメは絵コンテがあって、それを描いていくんですものね。特に風景や背景なんて今までに見たことがある記憶から出てくるものなんだって納得です。もしそれが全く新しいものだとしても、きっと記憶を繋ぎ合わせているんですよね。そんな映像は観る側の記憶の扉をも叩くのかもしれません。だから、大人が楽しめるんでしょうね。でも、その監督の作品には、どれも万葉集の歌に基づいている場面や日本古来からの伝統にまつわる部分などがあって、それは大人だから成しえたことだなって思うし、監督の文学的な才能を痛感します。これからも文学的なアニメを大人な見方で楽しんでいきたいなって思うんです。