毎日、一日の仕事を終えると家に帰ってご飯を食べて、ワンコのお散歩に行ったり翌日のパンをセットしたりして、お風呂に入って、それから本を読んでから寝る……とだいたいの流れは決まっています。ときどき、そこに飲み会や女子会が入ったり、帰りにちょっと寄り道したり。そして、休みの日はというと、ショッピングに行ったり、書店をぶらぶらしたり、友人とのランチを楽しんだり、たまに家でダラダラしていたりと、そんな過ごし方をしています。けど、いくら読みたい本があっても、家に仕事を持って帰っているときには諦めるしかありません。たとえ帰宅後、特に何もすることはなくても、ヘトヘトに疲れている時には、本を開いたものの目は閉じてしまっているということもあります。
けど問題は、そんなに疲れてもないし追われてもいないけど、「やらなきゃいけないこと」だと考えられることは幾らでもあるっていう日々なんです。家の用事も仕事の準備や勉強も。英会話の勉強だって終わりはありません。それらを優先していたら、小説を読む時間なんてなくなってしまいます。以前、良い仕事をするためには、遊びが大事だと書いてある本を読んだことがあります。その著者はゴルフや飲み会を勧めていました。そういう時間は自ら進んで作ろうと思わなければ作れないと。優先順位が低いと思われがちなレクリエーションこそ仕事のためのエネルギーを蓄えるために必要なんだって。そうなんですよね。だから、やらなきゃいけないことがあっても小説を読む時間を優先してもいいってことなんです。それが日々を頑張るための正しい時間の使い方なんです。
固定概念を捨ててしまえば
日本人らしい、外国人みたいな、色んな名前があります。小説の中にも様々な名前が出てきますけど、それだけでは、日本人か外国人かなんてわからないこともあります。そして、
今の社会では、男の子か女の子かもわかりにくい場合もあります。
実は先日、ちょっと面白いことが書いてあった本を読んだんです。ある英会話スクールでのお話なんだけど、そのスクールでは、お互いのことを英名で呼び合うんです。生徒はみんな日本人なのに、『デイビッド』とか『ケイト』とか『サリー』とかです。先生が呼ぶときもお互いを呼ぶときもです。なんだかくすぐったいなって感じるけど、そこから入って、外国人になりきって会話をするということかもしれません。
そういえば、以前読んだ小説にも、似たようなことがあったんです。その小説を海外の物語だと思って読んでいたら、だんだん怪しくなってきて……というか、最後の方になったら、「これって日本の物語?」って感じだったんです。名前のマジックです。日本人らしからぬ主人公たちに完全に惑わされました。でも、これと同じような物語の代表的なものに宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』があります。これって、今でも舞台が外国だと思っている人も多いんです。だって、登場人物が『ジョバンニ』『カンパネルラ』などだからです。でも、実は舞台は岩手県なんです。そういえば、ライトノベルでもよくありますよね。どこの国かなんて全く関係ありません。固定概念を捨ててしまえば、すんなり受け入れることができるのかもしれませんね。
それが大事
通勤で電車を乗り換えるときに、朝は乗り換え駅で走ります。着いたときにちょうどホームの向かい側に電車が待っているんです。扉が開くと一斉にみんな走ります。けど、実はこのときにどこに乗るかがかなり重要ポイントなんです。なぜって、車両によって込み具合って全然違うものなんです。乗ってしまうと全体が見えないから、自分が乗っている場所がより混んでいるのか少しは空いているのかがわかりません。でも、乗り換えの時には、降りる前にドアから見ていると、だいたいわかるんです。だって、少しでも空いているところに乗りたいですもの。たぶん、みんな自分が降りる駅の階段近くに停まる場所に乗りたいのかもしれません。であれば、大きな駅だと沢山の人が同じところに集中するってことですものね。私の研究によると、やはり女性専用車両が一番空いています。けど、意外にも後ろから3両目が空いているというデータを私は持っています。それは、朝でなくても帰りでもそうなんです。帰りにはしばらく並ぶときがあるから、その時はどのあたりに並ぶかが問題です。やっぱり疲れた体にギュウギュウはツライですし、少しでも空いていたら思いがけず座れることもあります。出来ることなら本を読みたいと思っている私にとっては、電車の混み具合はすごく大事なことなんです。
「なってこったー」な日
先日、職場に持って行かなくてはいけないものがあって、持っている手さげカバンの中で2番目に大きなカバンを引っ張り出してきて、そこに入れました。もう少し小さくても大丈夫だったかもって思ったけど、それより小さくて合いそうな物は持ち合わせていません。だから、もう諦めるしかありませんでした。けど、いつも持っているもうひとつの手さげも持って行く必要があるから、トートバッグに普通の手さげとビッグな手さげといった出で立ちになってしまいました。朝、家を出るときに鏡で自分の姿を見ると一体どこからやって来たのかというように見えました。「そうだ」と思いついて、大きな手さげにもう一つの方も押し込んで家を出ました。でも、それが大失敗だったんです。もう重たいのなんのって。二つに分けているとそんなに気にならなかった重さが、ひとつになるといきなり倍以上に感じました。駅の階段の上り下りだけでも大変でした。
絶対に座らなきゃ通勤時間を耐えられないと思った私は、乗り換え駅で仕方なく1本見送って並んで次の電車に乗ることにしました。その努力のおかげでなんとか座ることができました。荷物は膝の上に置きたかったけど、あまりの大きさに足元に置きました。「ふぅ」とため息をついて、でも、座れたのならせめて読書をしようと思ったんだけど、バッグの中に本が入ってなかったんです。そういえば、荷物に気を取られてしまって、昨夜読んでいた小説をベッドのわきにそのまま置いてきてしまいました。なんてこったー!
職場に着いたときには、その日の仕事はもう終えたような気分になってしまっていました。
夢でよかった
先日、久しぶりに夢を見たんだけど、その内容に目覚めた時には心臓がバクバクでした。現実の出来事でなかったことにホッとしました。なぜなら、私は事件に巻き込まれてしまって、秘密の箱を持って必至で逃げていたんです。もちろん、何人もの人たちに追いかけられています。夢の中にいるときって、本当はつじつまが合わなくても、時系列がおかしくても、そんなことはお構いなしに進んでいきますものね。目が覚めてから考えてみると、ありえないことがよくあります。
けど、どうしてそんな夢を見てしまったのかはすぐにわかりました。この前からどっぷりとハマっている小説のせいです。読んでるときには、そのスリルにドキドキするのが面白いんですけど、まさか夢に出て来るなんて思いもしませんでした。影響を受けやすい性格なんですね、私って。考えてみれば、子供の頃にもそんなことがよくあったように思います。そのたびに現実でなかったことに胸をなでおろしたものです。
物語は物語だからいいんですよね。それが自分の身に起こったら困る事って多いですもの。自分には関係ないことだからこそ、文字から色々と想像してその中に入り込めることが楽しいんです。あらためて、現実ではなく小説だから楽しいんだって思いました。でも、サスペンスなんかじゃなくてコメディだとしたら、実際にそんな出来事に遭遇すれば楽しめますよね。
本が人生を変える
この前、雑誌に大ヒットしてる『うつ病脱出者の体験漫画』を描いている漫画家さんのインタビューが載ってたんだけど、すごく納得できる内容で、ジンとくるものがありました。以前、その人は『うつ』を病んでしまって、そのときにうつ病から脱出できた精神科医の本を読んだんだそうです。その本を読んだあとに、自分を肯定することが大事だと気づいて、『うつ』から抜け出せるキッカケになったんだって。そして、病を患っている最中にいつか『うつ』の漫画を描こうと思っていたと語っています。ストレスの多い社会だから、けっこう患ってる人、患ったことのある人って多いんですよね、芸能人でも何人か聞いたことがあります。実は私の知人にもいるんです。病の期間も抜け出すキッカケも、人それぞれみたいです。でも、ちょうど心が求めていることにピッタリ合う本に出会えたら、トンネルを抜け出すことができるんだと思います。扉が開いたって、感じることってありますものね。私も経験あるんです。たまたま書店で目に留まった自己啓発本を読んだときに、「そうか」って自分が間違っていたことを素直に認められたんです。そして、大げさだと思われるかもしれないけど、生き方まで変わったって思えたんです。本との出会いで人生が変わることって確かにあるんです。インタビューの漫画家さんが描いた話題の漫画、読んでみたいです。
おにぎり論争
先日、職場の人と外出をして、一緒にお昼ご飯を食べました。人気で手軽なおうどん屋さんに入って、温玉うどんと炊き込みご飯のおにぎりを食べました。その時、知人が「おにぎりって自分で作る時に素手でにぎる?」って聞いてきたんです。私はいつもラップを使って作ります。コンビニやごはん屋さんのものは、たぶん機械や型を使ってると思うんだけど、中にはお店でも手作りがあるかもれません。けど、お店の場合、さすがに素手はないと思います。でも、彼女はいつも素手で作るらしいんです。そして、その方が美味しいって言うんです。思わず「本当?」って聞いたんだけど、正直受け入れられませんでした。それって、根拠があるのかな。味に差が出るとは理解しにくいし、衛生面を考えてもラップの方がイイと思うんだけどな。
でも、そういえば、随分前に読んだ小説の中にもそんな論争がありました。物語の中に出てきたのは、炊き込みご飯のおにぎりだったんだけど、登場人物の一人が、手でにぎった方が美味しいし、なんだか懐かしい気持ちにもなるって言ってたんです。それを読んだ時には、ふだん炊き込みご飯ではおにぎりを作らないからピンと来なかったんだけど、もしかしたら、それは『思い出』というエッセンスが加わってるからじゃないのかな。だから美味しく感じるんじゃないのかな。それなら、なんとなく理解できそうです。知人にもきっと何かのエッセンスがあるのかもしれません。
高齢者には優しく
この前、病院に健康診断に行ったんだけど、その時にこんなことがありました。全部終わって清算の前にかなり待ち時間がありました。けっこう混み合っていたから仕方なかったのかもしれませんけど、本を読んで時間をつぶしていた私でさえ、「まだかな」と少しイライラしてしまいました。もしかしたら、忘れられてるんじゃないかと不安にもなりました。あと10分待っても名前を呼ばれなかったら、一度尋ねてみようと思いながら、小説の続きを読んでいました。そしたら、突然大声が聞こえたんです。「だから、理由を聞いているんだ。ちゃんと答えられないのか」って。受付のカウンターに初老の男性がいて、怒鳴っていたんです。見た目は上品そうな人なのにって意外な感じです。よほど腹の立つことがあったのかもしれません。けど、単に待ちくたびれていただけなのかもしれません。でも、受付の女性スタッフの話し方にも原因はあったんじゃないかなって思えました。なぜなら、私は本から顔を上げてその様子を見ていたんだけど、対応が良いとは思えなかったんです。それに、以前読んだ本に、高齢になると、どうしても脳が衰えてきて萎縮していくから、自分の感情を抑えられなくなると書いてあったんです。きっとあの男性だって、もともとの性格はそんなに怒鳴り散らすような人ではなかったんじゃないかなって思えます。誰もが嫌でも老いていきます。少し優しい気持ちで接してあげれば、高齢者だってあんな風にはならないのかもしれません。
語彙力があればカッコいい
最近、小説の中に出て来る語句で読み方がわからないということはあまりありません。なぜなら、ルビを振ってあることが多いからです。でも、自分で書けるかというと、それはまた別問題です。スマホやパソコンでの変換が当たり前になってしまってるから、簡単な漢字が出てこないってことがよくあります。それに、最近の小説は堅苦しい文章のものが少なくて、というより私がそうでないものばかりを選んでいるからかもしれませんけど、難しい語彙が少なくなったように思います。でも、先日、『現代は語彙力のない人が多い』と書いてあるコラムを読んで、自分も含めて「それは当たってるな」と思いました。言葉の使い方や意味を勘違いしていたり、言葉自体を間違っていたり、そんなことが本当に多いんだそうです。そのコラムを読んでいたら、なんと読み方のわからない漢字があったんです。使い方を間違っている人が多いとの例として上げられていた言葉です。ショックでした。読書が好きなのに語彙力がないという事実に情けなくなります。『ある物事のたとえ』で使われる言葉らしいんですけど、本当に初耳でした。でも、それを日常会話に取り入れることができたら、やっぱりカッコいいです。知的な感じもしますしね。そこには「頭がイイ」と言うより「機知に富む」と言った方が知的だと書いてあったんです。たしかに!語彙力をつけて知的な女性を目指そうかな。
予感は当たりました
先日、朝起きたら喉に違和感がありました。唾をのみ込んだら少しだけ痛いような……。風邪薬を飲んでおいた方がいいかな、なんて頭の隅っこで考えながら出勤の準備をしていたんだけど、結局、いつものように時間に追われてしまって、お薬どころではありませんでした。でも、そんなにも気には留めていませんでした。電車では運よく座ることができて、小説を読むことができました。少し前からシリーズで読み続けている小説です。本当に面白くて、そのおかげで毎日が楽しいと思えるくらいです。ところが、もうすぐ乗り換えの駅に着くからと、キリのイイところで本を閉じてバッグにしまったときです。なんだか頭が重たかったんです。肩も凝ってるような気がしました。その上、腰も痛いような、だるいような……。なんだか悪い予感がします。高い熱が出る前って、いつもこんな感じだと思ったんです。
なんとなく変だなって思いながらも午前中の仕事を終えました。けど、ランチの時間になったのにお腹が空いていないんです。だから、ビタミンドリンクとおにぎりで軽く済ませてしまいました。
そしたら、午後からなんだか寒気が……。案の定です。測らなくても熱が出てきたのがわかりました。結局、少し早めに帰宅させてもらって病院に行くことになってしまったんです。やっぱり、朝からの違和感はその前兆だったんですよね。今度からは、早めに対処しようと心に誓いました。