ゆるキャラ達と過ごす午後のひととき

ゆるい世界にどっぷりと浸ることは、なかなか良いものです。まるで温かい湯船に浸かりながらこのままここから出たくないと思うくらいにのほほんとした温かさを得ることは、今の私にとっても必要なことだと感じております。また現代の忙しさに身を置いているからこそ、小休憩をとることは、明日への活力にもなると最近常々感じることもしばしばです。そんな私にとって、最高にまったりとした心地良さを感じることができる作品があります。それは数年前に購入したマンガで、ある架空の街で広報誌を作る仕事をする女性が主人公の作品です。記事を書くために個性豊かなキャラクターを持つ住民達に会いにゆくストーリーで、出てくる人達がみんな「ゆるキャラ」といった設定は、疲れていても元気でも何だかとってもホッと心が温かくなります。誰もが生き急いでおらずマイペースに暮らしているところもまた共感できるからでしょうか。ちなみに部屋にこもってコーヒーとお菓子を食べながらこのマンガを読むことが好きで、数ヶ月に一度は休みの日の昼下がりを供に過ごしております。外の天気に振り回されることなくおうちでのんびりできることは、読書やマンガ鑑賞の最高の利点だと思いながら幸せを噛みしめることも少なくありません。そしてゆるさとユーモアの中に描かれる切なさにホロットしながらも、この作品は温かくて甘くて少しビターなココアのような味わいだと思うのでした。

長い年月から進化し続ける街を知る

昨晩20年前に放映されたドラマをDVDで鑑賞しました。刑事が事件を解決してゆくもので、個性溢れる登場人物達がとてもユニークなところがこの作品の最大の魅力です。もう一つ私が印象に残ったのは、20年という歳月で大きく変わった都心の街並みです。犯人逮捕の舞台となるところは、湾に面したカフェテラスで、今はたくさんの人々で賑わうショッピングモールがあり、海には砂浜が造られていて観光スポットにもなっています。ドラマが放映された当時はまだそこまで発展しておらず、荒涼としたサスペンス作品にぴったりのシチュエーションでした。また世紀末の焦燥感のようなものが、どこかクールに描かれていたことが非常に印象深く心に残っています。
私がこのドラマを鑑賞しながら頭に浮かんだのは、もう何年も前に読んだ現代アートについて書かれた本でした。都心で活躍するアーティスト達を紹介する作品で、独自の世界観を持った活動をしている芸術家達からは「芸術とは生きること」という言葉がぴったりだと感じまたものです。また都心の風景はまだ成長途中で、希望の香りを匂わせていたことは言うまでもありません。
この書籍を読んでいた頃、高層ビルの中層部に位置するレストランから都心を眺める機会がありました。その光景は今でも鮮明に思い出されるほどに胸の奥に刻まれています。どこまでも続く空、そびえ立つ高層ビルと遠くの海がとても美しかったからです。そしてこれが完成された街なのだと感じたことが思い出されます。しかしながらあれから長い歳月が過ぎた今でも発展し続けている様子を見ていると、街は人と一緒に進化を遂げ続けるのだと思うようになりました。そして変わりゆく街と供に私も年を重ねてゆくのだと改めて知りました。

眠りに着く前のささやかなスピリチュアルタイム

とても心地よくて不思議な世界観漂う小説を読みました。それは兼ねてからファンでもある女性作家が手掛けたものでした。いつも新しい物語に出会う度に今まで感じた事のない感覚を味わってきたように思います。
昨晩寝る前に布団の中で読んだ本はこの作家が手掛けた短編作品が幾つか収められたもので、どの物語にもこの世に生きる者とあの世に行ってしまった者を結び付けるエピソードが込められていました。初めは幽霊をイメージしてしまい「夜眠れなくなってしまったらどうしよう」という不安にさいなまれましたが、読み進めてゆくうちにそんな気持ちは全く抱かないことを悟ったのでした。
大切な人を失ったがために気が付かないうちに心に深い闇を持つようになった主人公、憎しみを抱いていたにも関わらず死によって気付かされた思いなど、様々な形で記憶や心の根底にある他者との関係が浮き彫りになる作品達はそっと私の中に入ってきて、切なくも優しい余韻を与えてくれました。死に直面することによって悲しさの許容範囲が分からなくなってしまい何事もなかったかのように振る舞う人々のやるせなさは、小説の中ではまるで丸くてフワフワして柔らかい羽根布団のように感じました。しかし当事者達にとっては、ひどく尖ったナイフのような悲しみであることを垣間見たのでした。そして死と生が隣り合う物語達はスピリチュアルな世界に一歩踏み入れたかのような摩訶不思議な時間を与えてくれました。時にはこんな夜があってもいいと感じています。

高齢犬の問題

現代は昔と比べると食事や医学の進歩で人間の寿命が延びたように、犬や猫の寿命も延びていると以前、本で読んだことがあります。でも、それに従って、人間と同じようにペットにも介護の問題が起きてきています。元気なうちはいいけれど、痴呆が始まったり、足腰が弱くなったり、歩行が困難になったりするんです。そして、オシッコやウンチだって、今までちゃんとできていたのが、粗相が多くなってくるんだそうです。けど、それは歳をとってそうなってきたんだから、叱っては可愛そうなんです。
実は、うちのワンコが最近、おうちでお漏らしをするようになってきて、ちょっと頭を悩ませています。だから、老犬の世話について書かれた本を読んでみたり、そんな記事を探したりしています。うちのワンコは外でしかオシッコやウンチができなくて、お散歩に行くまで我慢してるんです。若いときは、私が仕事から帰ってくるまで待っていて、もちろん、その時も可哀想だとは思っていたんですけど、最近は我慢が出来なくなってきたみたいです。だから、漏らしてるときだって、完全に全部しちゃってるわけじゃないんです。そのうえ、本人はいけないことをしたと思っていて、私の顔色を見たりしています。そんな様子を見ていると余計可哀想で……。ワンコが小さな時に、お家でもできるように躾ができなかった私が悪いんです。もう老犬だから、今さら躾は難しいと思います。でも、ちょっとでも楽にしてあげたいから、今、何か良い方法がないかと思案中なんです。

子供は走る

この前、夕方にワンコのお散歩に行った時に、下校中の小学生に会いました。みんな元気に走ってたから、うちのワンコもそれにつられてはしゃいでいました。子供って急いでなくても走ってますよね。何か嬉しいことがあったときにも。ご機嫌だとスキップしたりもしますしね。この前読んだ小説にもそんなことが書いてありました。タイムリープもので、舞台は江戸時代だったんだけど、平成からそこに迷い込んだ主人公たちが、喜んで走っている子供を見て、「平成の子供と同じだな」って話していたんです。いつの時代も子供は同じだと。本当にそうだと思います。特に嬉しい時にはなおさらです。私だって、遊園地で父からボートに乗ってもいいって言われたら、「やったー」ってボート乗り場まで走って行ったのを覚えています。学校帰りにはスキップをしながら帰った記憶もあります。大人になってからスキップなんてしたことありません。そもそも今でもできるのかなってことなんですけど。そんな子供の頃が懐かしいです。その日、小学生たちの後ろ姿を見送ってから、まだピョンピョンとはしゃぐワンコにこう言いました。「お家まで走ろうか!?」私が駆け出すのを見て、嬉しそうに勢いをつけるワンコ。家に着いた時には、息切れが……。でも、久しぶりに楽しいお散歩でした。

お散歩の後には

うちのワンコはお散歩が大好きだけど、人間のように外を歩くのが好きだからという理由だけではありません。というより、本当は別の目的の方が大事なんですけどね。お散歩に出て行くまでオシッコとウンチを我慢してるんですもの。実はうちの子は外でないとウンチやオシッコができないんです。小さいときのしつけが間違ったというか、トイレシーツで何度練習しても、シーツをぐちゃぐちゃにして遊ぶだけだから私が諦めてしまったんです。諦めずに根気よく頑張るべきだったかなって今となれば思います。台風だろうが嵐だろうが行かなきゃダメなんです。もちろん、私は行きたくないですけど我慢してるから可哀想で。あまりの嵐にワンコ自身も外に出たものの驚いてる時もありますけどね。ということは、お散歩からは必ずウンチを持ち帰ってるってことなんです。そして、それはトイレに流しています。けど、先日、『犬のウンチはトイレに流してはいけない』という記事を読んだんです。詰まりの原因になるって。もうビックリです。かれこれ10年も流しています。でも、それで詰まったことはないんだけどな。調べてみました。そしたら、一緒に小石なんかを流してしまったらいけないのと、自治体によって決まりが違うんだって。それと、浄化槽の場合はあまりよくないらしいです。でも、うちは直流だから、大丈夫でした。衛生面から考えてもトイレに流すのが正解でした。あぁ、良かった。一安心です。

靴職人の男達

最近読んだ小説に靴職人の男性が登場しました。彼はとてもおしゃれでライフスタイルが洗練されています。そのため素敵なものづくりをする男性だということを想像することができます。この物語は恋人と一緒に山小屋でハネムーンを過ごすストーリーで、彼が手掛けた靴をプレゼントするシーンはとても心に残ったのでした。
靴は無くてはならないものです。だからこそ履きやすくて歩きやすいものを選ぶよう心掛けています。しかしながら今までお店に並ぶ商品を見ていても、職人さんのイメージが湧きませんでした。そのため先日読んだ小説は、遠い昔に忘れてきたものを思い出させてくれたような感覚を味わったのでした。
そしてもう一つ。昨晩観た映画にも小説と同様に職人を目指す高校生が登場しました。彼は高校1年生ですが自分の夢を貫くため、バイトをして専門学校へ通う費用を稼ぎ、日々自室で靴を作成しています。その姿は男気溢れていてカッコよかったです。また好きな女性のために可愛らしいパンプスを作り、それを渡すことなくエンドロールが流れたところは切なくもありました。しかしいつかその女性の元にパンプスを渡しにゆくであろうことが想像できたため、どこかホッとしたのでした。
これらの作品から私も世界でたった一つのシューズを手にしたいと思うようになりました。いつかハンドメイドで作られた自分だけの逸品を履く日が来ることを願っています。

固定概念を捨ててしまえば

日本人らしい、外国人みたいな、色んな名前があります。小説の中にも様々な名前が出てきますけど、それだけでは、日本人か外国人かなんてわからないこともあります。そして、
今の社会では、男の子か女の子かもわかりにくい場合もあります。
実は先日、ちょっと面白いことが書いてあった本を読んだんです。ある英会話スクールでのお話なんだけど、そのスクールでは、お互いのことを英名で呼び合うんです。生徒はみんな日本人なのに、『デイビッド』とか『ケイト』とか『サリー』とかです。先生が呼ぶときもお互いを呼ぶときもです。なんだかくすぐったいなって感じるけど、そこから入って、外国人になりきって会話をするということかもしれません。
そういえば、以前読んだ小説にも、似たようなことがあったんです。その小説を海外の物語だと思って読んでいたら、だんだん怪しくなってきて……というか、最後の方になったら、「これって日本の物語?」って感じだったんです。名前のマジックです。日本人らしからぬ主人公たちに完全に惑わされました。でも、これと同じような物語の代表的なものに宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』があります。これって、今でも舞台が外国だと思っている人も多いんです。だって、登場人物が『ジョバンニ』『カンパネルラ』などだからです。でも、実は舞台は岩手県なんです。そういえば、ライトノベルでもよくありますよね。どこの国かなんて全く関係ありません。固定概念を捨ててしまえば、すんなり受け入れることができるのかもしれませんね。

夢でよかった

先日、久しぶりに夢を見たんだけど、その内容に目覚めた時には心臓がバクバクでした。現実の出来事でなかったことにホッとしました。なぜなら、私は事件に巻き込まれてしまって、秘密の箱を持って必至で逃げていたんです。もちろん、何人もの人たちに追いかけられています。夢の中にいるときって、本当はつじつまが合わなくても、時系列がおかしくても、そんなことはお構いなしに進んでいきますものね。目が覚めてから考えてみると、ありえないことがよくあります。
けど、どうしてそんな夢を見てしまったのかはすぐにわかりました。この前からどっぷりとハマっている小説のせいです。読んでるときには、そのスリルにドキドキするのが面白いんですけど、まさか夢に出て来るなんて思いもしませんでした。影響を受けやすい性格なんですね、私って。考えてみれば、子供の頃にもそんなことがよくあったように思います。そのたびに現実でなかったことに胸をなでおろしたものです。
物語は物語だからいいんですよね。それが自分の身に起こったら困る事って多いですもの。自分には関係ないことだからこそ、文字から色々と想像してその中に入り込めることが楽しいんです。あらためて、現実ではなく小説だから楽しいんだって思いました。でも、サスペンスなんかじゃなくてコメディだとしたら、実際にそんな出来事に遭遇すれば楽しめますよね。

面白くて粋な表現

この前、職場の人と一緒に出先でお昼ご飯を食べました。めずらしく和食のお店に入りました。けど、お昼だから、いくら和食と言っても豪華な懐石というわけではないです。結局、お得なランチメニューになってしまいます。でも、お昼はやっぱり、みんなそうです。ほとんどの人がお昼の定食を食べていたみたいです。私は『きつねうどんとミニちらし寿司』のセットにしました。これ、『炭水化物×炭水化物』の太るパターンで、本当は選んじゃいけないメニューなんですけど、お腹が空いてたし、その組み合わせの魅力に負けてしまいました。そして、目の前に運ばれてきたそれを見た瞬間、選択は正しかったと思えたんです。まず、きつねうどんを口に運んでみたら、出汁の味といい、麺のコシといい大正解でした。値段を考えたら、なんてお得なんだと思いました。同僚は、『天ぷらうどんといなりずし』のセットだったんだけど、そっちもかなり美味しかったみたいです。そしたら、同僚がこんなことを言ったんです。「こんな風じゃなくて、コシがないうどんのことを何とかって言ったよね? 美味しくないという意味じゃなくて……」ん? そんな言い方あったかな、と考えました。でも、私は普段それに当てはまるような言葉は使わないから思いつきませんでした。でも、しばらく考えてたら、以前読んだ小説にそんなようなことが書いてあったように思ったんです。でも、その時には、いくら思い出そうとしても思い出せませんでした。だから、家に帰ってから、すぐに本棚を漁りました。食べ物が出て来そうな小説をかたっぱしからめくってみたんです。そしたら、ありました。なんと『腰抜けうどん』だったんです。面白い。そして、なかなか粋な表現です。